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石田 三成

  • carlos546ahmed53
  • Oct 1, 2022
  • 4 min read

石田三成とは 三成と秀吉の出会い「三献茶」とは? 戦国時代はさまざまな出世譚が生まれました。 中でもその鮮やかさが際立つのが、 豊臣秀吉と石田三成の間の 「三献茶」のストーリーです。 戦国の覇者にまで上り詰めた秀吉と、彼に仕えてその志を継いだ三成のお茶にまつわる逸話を見てみましょう。 三献茶のストーリー 三献茶のストーリーは、近江の国で秀吉が鷹狩りの帰りに立ち寄った観音寺が舞台です。 石田 三成 その小姓は、はじめに大きなお椀でぬるめのお茶をたくさん入れて持ってきます。 あまりに喉が渇いていたのか、お茶が美味しかったのか、秀吉はおかわりを希望しました。 すると小姓は今度、少し小さめのお椀にやや熱めのお茶を入れてきます。 それを飲み干した秀吉が三度目のおかわりを所望すると、小姓は小さなお椀に熱々のお茶を少しだけ入れて持ってきました。 こうした小姓の行動の意図に気づき、その心意気に感じ入った秀吉は、彼を召し抱えることに決めます。 その小姓こそが、幼名を佐吉と呼ばれる後の三成でした。 では、なぜ三成は三度とも同じお茶を持ってこなかったのでしょうか。 三杯のお茶に隠されたメッセージ 最初、三成は秀吉が大変喉が渇いていると考え、飲みやすいぬるめのお茶をたくさん持ってきました。 それにより秀吉はすばやく喉を潤すことができたのです。 そして、喉の渇きが癒えるにしたがい、お茶の量を少しずつ減らして熱くすることで、秀吉がよりお茶を味わえるように工夫します。 当時の秀吉といえば、木下藤吉郎から羽柴秀吉へと名乗りを改め、織田信長から長浜城を与えられた武将でした。 そのような大物相手に堂々と機知を巡らせる度胸とその気遣いに感心し、秀吉は三成を召し抱えることに決めたのです。 逸話の出処は「武将感状記」 実はこの話は公式に記録が残っているわけではなく、江戸時代に書かれた「武将感状記」という書物の逸話です。 公式な記録でもなく、他の有名な第三者が証言しているわけでもないので信ぴょう性が薄く、この三献茶の話は創作の可能性が高いといわれています。 しかし、その話の面白さから多くの人に語り継がれ、現代まで残りました。 三成と大谷吉継の熱き友情 錦絵の大谷吉継。 三成とは盟友でした。 お茶によって出世のきっかけをつかんだ話が残る三成ですが、実は友人との間にもお茶の逸話があります。 その相手はともに豊臣政権で重きをなし、関ヶ原の戦いで三成とともに西軍を率いて徳川家康の東軍と最後まで死力を尽くして戦った 大谷吉継でした。 三成と吉継の逸話についてご紹介します。 三成のお茶と大谷吉継のエピソード 戦国時代は多くの戦いで武将たちが活躍した時代ですが、同時にお茶文化も大名の間で盛んになり、茶会が多く開かれたり、恩賞の代わりに茶器が与えられたりした時代でした。 当然、三成や吉継も多くの茶会に呼ばれていたのです。 三成と吉継が同じ茶会に参加したとき、吉継は「らい病(現在でいうハンセン病)」という病気にかかっていました。 らい病は当時の日本では不治の病とされ、皮膚に結節、斑紋ができることから人々から忌み嫌われていました。 感染力の低い病とはいえ、当時は医療知識が十分でなく、感染を必要以上に恐れる傾向があったのです。 その茶会でたてられたお茶を参加者が順番に飲んでいたときのこと、吉継の顔から膿(うみ)が垂れて茶碗の中に入ってしまいました。 通常、茶会では、たてられた一杯のお茶を参加者の間で回しながら少しずつ飲むのが作法でしたが、吉継の膿が茶碗に入ってしまったのを見た参加者たちは気味悪がり、回されたお茶を飲もうとしません。 しかし、三成はそれを平然と飲み干し、「おいしかったので全て飲んでしまいました。 もう一杯たてていただきたい」と言い放ちました。 三成の人柄を示す逸話? 実はこの逸話も後世の創作という説がありますが、このような話が作られることからも、三成の性格を想像できそうです。 らい病だった吉継は、なにより周りから差別的に扱われるのが辛かったことでしょう。 その茶会でもいたたまれない気持ちになったに違いありません。 しかし、三成は吉継の気持ちを考え、誰も飲もうとしなかったお茶を飲み干した上に、違うお茶をたてるようお願いしたのです。 おかげで吉継はそれ以上いたたまれない思いをせずにすみました。 この逸話から三成の人柄は、人情に厚い人物と想像することができます。 逸話に残る三成の魅力! 三献茶の逸話にみられるような機知を持ち、吉継との逸話から人情に厚い人柄であったことがわかる石田三成。 他にも家臣である島左近との逸話など、三成の人柄の推察につながりそうなエピソードが多く知られています。 いずれも三成の魅力を伝える逸話として、これからも後世に語り継がれていくことでしょう。 石田 三



 
 
 

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